山田ミネコと最終戦争伝説な歴史

  


  
 書籍版  1976/05/20
 Kindle版 2015/09/20
ネコちゃん劇場第一弾開始。初期のヒット作となった。この頃まで諸事情により作者はウサギでは無くネコだったりする。

第2章「新児童少女漫画界と鈴木光明の登場」

 漫画を描くことの楽しさを見出した美根子は、厳しい規律の学校でシスターに呆れられながらも創作活動に熱意を燃やす。
 ふと、雑誌マーガレットを開いた際に目に留まった「新児童漫画界」の会員募集に心引かれ、何気ない気持ちで20円切手を投じて資料を取り寄せて会員になった。

  中古コミック雑誌週刊マーガレット 1967年30

 当時といえばまだ戦後まもなく、印刷技術の普及も遅れていた。
 同人誌と言えば、文字通り手書きの肉筆回覧誌かよくてガリ版。大量印刷の雑誌はともかく漫画は子供にとって高価なものだったので、その10分の一の金額を払えば新作の漫画を貸してくれる貸し本屋が大流行した。

   中古B6コミックフレデリカの朝 / 飛鳥幸子

 新児童漫画界は、貸し本漫画出版社の大手「若木書房」が若手作家の育成目的のために開いた会員制漫画家養成サークル。
 貸し本漫画はとにかく新作が命。新しい作家、新しい才能を見出そうと出版社は新たな才能を発掘しようと若木書房は熱心だった。送料+α程度の金額で会員になれば豪華な装丁の会報を毎月送って貰え、さらに自分のイラストを掲載して貰う事も出来る。
 参加する会員の数が多ければ多いほど掲載される確率は低くなるが、会報に載る漫画の技術は高くなりそれを求めて会員の数も増えていくという図式だ。

  中古少女コミックあの人を消せ / 高階良子

 インターネットが普及する90年代まで会員制サークルは漫画化志望の子供たちの登竜門、そして数少ない交流の場だった。
 そんな戦略を見事に成功させた新児童漫画界は、あの時代に200人以上もの会員を集め、会報「若草」は当時の会員制サークルとしては珍しいオフセット印刷で刷られ子供心をくすぐった。
 高階良子、杉本啓子等の名だたる作家の中に素人の女の子が飛び込み、自分の技量を競い入賞して会報への掲載を狙う。

     中古B6コミック空中庭園 / 杉本啓子 
     (ネコさんの憧れの人でもある)


 そして数多くの会員の中で志を同じするものを探し、交流し、お互いに批評しあうという別の楽しみも生まれた。
 交流の中で知り合ったのが、現在はアニメーター杉野昭夫の妻でスタジオジブリの原画師でもある杉野左秩子等を初めとする漫画家志望の少女たち。
 同好の友人を得た美根子はラジオから流れるロックを聴きながら漫画を描き、たまに詩の投稿をしつつ本格的な執筆活動を開始した。
 そして1964年、美根子はサークルで知り合った友人と肉筆回覧誌を書きながら、自分でもいくつかの漫画を書き上げ、自選集と題された初のシリーズ物「金のようせい」
に初のSF作品「青い星のゼナ」などの個人誌を書き上げ、サークルでも話題を呼んだ。

   中古少女コミックエロイカより愛をこめて(1) / 青池保子

 紙面では青池保子を始めとする若い世代のプロデビューが少女マンガ雑誌を飾り続けたが、ラジオなどの採用率も高かった詩と違い漫画は落選続きで、講談社漫画賞や手塚賞は選外にすら届かない。
 同じ年頃の少女がプロへの道を歩んでいる事に焦りを感じた美根子は、自分の技量を上げてくれる漫画の師匠を求めた。
 既に若草では何度も賞を取りイラストも掲載されてはいたが、所詮はまだ自己満足。高校生になった美根子が目指す将来はプロの作家。自分の漫画が紙面を飾り、単行本を手にする喜びを17歳になった美根子
は夢に見る。

     中古アニメムック 杉野昭夫 作品集

 そして1967年、杉野左秩子の紹介で偶然にも同じ横浜に住む「少女漫画家の鈴木光明」と美根子は出会った。
 セーラ服におさげを結わえ、幼さの残る少女の登場に最初は戸惑った鈴木氏だったが、美根子達が所属するグループの肉筆回覧誌を見せられすぐに興味を示し、彼女の出入りを歓迎した。
 晴れて鈴木氏の門下生となった美根子はストーリーの弱さの改善点や構成技術を学び、大学の受験を終えると出版社を飛び回る。
 師匠は漫画の神様「手塚治虫の愛弟子にして元アシスタント」という、神様の技術を学んだ先輩による最高の指導を受け、美根子の漫画技術はメキメキ成長していった。

      中古コミック ポケットの中の季節(1)

 とにかく、若いうちに単行本作家としてデビューを飾りたかった。
 60年代も後半に入ると図書館の数も増え、漫画本がそこまで高価ではなくなったこともあり貸本屋は店を畳む所も増えていて、漫画の持ち込みすらも断られた。
 漫画賞の投稿を考えた事もあった、しかし同世代の少女たちが10代でデビューしている事に焦りを感じていた美根子に投稿の選択肢は無い。プロの作家としての道を行くために、暢気に投稿なんてしていられなかった。
 そして、鈴木氏のアドバイスを受けながら何社かの貸本出版を経て、1969年山田美根子はヒロ書房でデビューを果たす。

     

 発行部数は僅か100冊と少ないが、アンソロジーも含めると13冊もの単行本を抱える貸本末期の人気作家となった。


  ・第3章「貸本漫画家から雑誌デビューへ」


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