山田ミネコと最終戦争伝説な歴史

 


   
 
 書籍版  1977/05/20
 Kindle版 2015/09/20
最大のヒット作品にして100冊を超える大作。派生したストーリーを一つに繋げると大きな物語となる。

第3章「貸本漫画家から雑誌デビューへ」

 鈴木氏の指導の元、制作を続けていた美根子は大学の授業を受けながらも単行本用の漫画を仕上げ、二ヶ月に一冊のペースで刊行。という大手作家のような忙しい日々を過ごしていた。
 その後、美根子の人柄と鈴木氏の魅力に 惹かれた作家志望者は集まり続け、ついには鈴木氏主催の漫画集会を定期的に行うまでに広がった。
 同じく漫画家デビューを果たし、当時は西宮サチ名義で活動をしていた杉野左秩子や灘しげみ等が集って出来た批評指導塾「アトリエ赤と黒」

     中古少女コミックコートの嵐(1) / 灘しげみ

 会合告知のチラシを見つけ、飛び入り参加した和田慎二が初参加となった回覧誌製作集団「海賊船シーホース」
 
特に、和田はアシスタントを経験する等の家族ぐるみの交流が深く、忙しい中でも励ましあう生涯の友を美根子は手にした。

    初めて見るプロ技術。

 そして、彼女の転機は訪れた。
 別冊マーガレットの新人賞の選考に関わるようになった鈴木氏は、見事デビューを果たした愛弟子の本を編集の小長井氏に見せる。
 数々の漫画で非常に厳しい編集と知られていた小長井氏は「半月で16ページ+ジャンル指定なし」という、 冗談のような鬼指令を美根子に与えた。
 貸本漫画は既に下火となり、依頼も途絶え気味となっていた彼女は焦っていた。単行本から雑誌へ移る、しかしその道へ進むための切符が半月で16ページという厳しい道のり。
   中古雑誌 別冊マーガレット 2011/1

 しかし、彼女はただの新人ではない。製作スピードは月産200ページを超え、ネームをわずか1日で100枚書き上げるような超高校級の漫画家だ。
 見事に締め切り時間を上回って、完璧な答えを美根子は小長井氏に提出した。

    

 枠に囚われない大胆な構図と独自のセンス、少し孤独を感じさせる絵柄とテイスト。
 貸本時代に培われた技術と詩の才能とが開花し、別冊マーガレット1971年2月号に山田美根子の名前は大きく紹介され人気を博した。

 小長井氏は「子供に分かりやすいように」と名前を本名ではなく、山田みねこか山田ミネコへと変えるように促すが、既に本名でデビューしていたためこれを受け入れずに「山田美根子」表記での掲載は続いていく。

  
 そして紙面も4ヵ月後に掲載された「6月の丘」にて「山田ミネコ」の表記に変更となり、その後もちょっとした名前への反抗は続くが、以後の漫画人生においてこれを変える事はなかった。


萩尾望都&竹宮恵子の登場と24年組の成立


 ミネコが漫画家として雑誌デビューする少し前、同じ年頃の漫画家を目指しプロ入りを果たした二人の少女がいた。
 1968年に「りんごの罪」でデビューし、教育大学に通いながらペンを握りしめた竹宮恵子。

  中古コミック 空がすき(1) / 竹宮恵子

 親に漫画を禁じられながらも筆を手にし、デザイン専門学校に通いながら1969年「ルルとミミ」でデビューした萩尾望都。
 作品性も考え方も違う二人は萩尾が竹宮の臨時アシスタントを務めた形で知り合い、共通の友人である後の作家「増山法恵」に招かれて同居生活を送る事になった。
     中古コミック ケーキケーキケーキ/萩尾望都 

 夢の場所は、東京都練馬区大泉のキャベツ畑に囲まれた2軒長屋のアパート。
 こたつに原稿を並べ、お茶を片手に墨をまき散らして2人の天才漫画家が作品の方向性を語り合う。
 時には猥談をし、編集に対する恨み言などを漏らしつつも互いに技を競い合った2軒長屋。大泉サロンと名付けられたこのアパートは、女性漫画家版のトキワ壮をイメージして計画は始動し、悪巧み3人組の手で厳選された漫画家やその卵たちの溜り場となった。

    中古コミック きんぽうげ/ささやななえ

 「山岸凉子」や「ささやななえ」のように既にデビューした者も居れば、坂田靖子のように同人誌を書きながらデビューを目指す者。波津彬子&花郁悠紀子のように投稿を続けつつアシスタントもこなす姉妹もいた。
 そんな中、ペンフレンドだったささやななえに招かれ山田ミネコも大泉の地を踏む。

   

 高校時代から付き合っていたタヌキさんと結婚し、キャベツ畑の家に住み始めたミネコにとって、キャベツしか無い大泉サロンは第2の我が家のようなもの。
 この大泉サロンでの日々で萩尾と親しくなり、偶然の会話から「キャベツ畑の遺産相続人」という作品が後年生まれることになる等、作家同士の繋がりはさらに深まった。

    中古コミック キャベツ畑の遺産相続人/萩尾望都

   
 大泉での日々は竹宮の離脱により3年半ほどで潰えたが、ここでの暮らしは少女漫画家たちの作風に多大な影響を及ぼし、後に彼女たちは花の24年組と呼ばれるようになった。
 互いに作家たちが意見をぶつけ合うことで暗かったミネコの作風も色を付け始め、禁止されていたSFやボーイズラブ等にも取り組もうと乙女達は編集と徹底抗戦し後年の名作を生み出していく。

    中古コミック 風と木の詩(1) /竹宮恵子
 漫画の歴史で触れられる事が少ない場所ではあるが、大泉サロンは近代少女漫画の基礎となる重要な場所となった。


  第4章「白泉社の設立と花とゆめ創刊」


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