ようこそシネマハウスへの歴史

まえがき
 今年で25周年を迎えた「ようこそシネマハウスへの歴史」を振り返ってみる。
 惜しくも埋もれてしまった本作は、30年以上もの長い年月の物語。歌手RIKAとしてのさっぽろ氏の日々や、HARD社の終焉までを全10章に渡ってお届けいたします。



 公式に許可を貰う事や監修依頼も考えましたが、あくまでもユーザー目線で調べれば出てくる範囲内で纏めたため、実際の事実との相違や、記憶違いがある事をご承知頂ければ幸いです。

※ヤマハ時代の不確かな記憶などは、下記のサイト様を参考にさせて頂いております。この場を借りて御礼を申し上げます。
  インタヴュー手工芸テクノ歌姫、RIKAさん
  RIKAのレコード


第1章 ポピュラーソングから生まれた歌姫RIKA
 時代は1969年。オーディション番組「スター誕生!」が始まる少し前のこと。
 音楽業界の老舗、ヤマハ音楽振興会は歌手の育成と発掘を目指したオーディション大会「'69作曲コンクール」を開催した。
 優勝すればレコードデビューは確定し、歌手としての階段を登り始める。
 後に「ヤマハポピュラーソングコンテスト(POPCON)」と名付けられたこの大会は、中島みゆきに世良公則&ツイスト、八神純子に渡辺真知子と、名前を上げていくだけで誰でも知っている多数のアーティストを生み出し、歌手志望者の登竜門になっていった。

  世良公則 / Premium BEST Songs&Live ~いつものうた~

 そして、1985年10月6日。
 第30回ポピュラーソングコンテスト本選への切符を、ある一人の女性が掴んだ。多重録音が、まだ日本では浸透していなかった時代に作られた楽曲は「雨の中で僕は」という、少し寂しさの残るPOPな歌。

  邦楽CDオムニバス/LIVE!!POPCONHISTORY6

 審査員の谷山浩子氏を虜にし、グランプリこそ逃したものの、見事に優秀曲賞を受賞。
 やや遅咲きの春となった彼女は「RIKA」という名前を与えられ、single「ファイヴ・シャドウ/bye bye bad girl」でポニーキャニオンからデビューを飾った。カセットMTRを操り、X68000で作曲をする電子とテクノポップの世界の歌姫。
 後に、「さっぽろももこ」と名乗る女史の、若き姿がそこにあった。
 DTMやシンガーソングライターといった単語がまだ成立していない、レコードからカセットテープへと移り変わっていった80年代のホープとして、行く先の未来を思い描きながら、歌手「RIKA」はヤマハの門を潜り抜けていった。


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第2章 麻雀ゲーム『Dragon』と原画家への道


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