ようこそシネマハウスへの歴史


 
 ようこそシネマハウスへ
 発売 1994年
 機種 PC98/DOSV
 定価 7800 円
  
     ・これ一本で100作品は楽しめる、ご存じ元祖映画作成SLG!


第7章 発売日だよ、全員集合!
 世間一般が翌月の「ドラゴンナイト4」様の話題で夢中な最中、ついに遅延続きだった「ようこそシネマハウスへ」は発売された。
 マニュアルには、ドラゴソナイト4と間違えてませんか? といったナイスジャブが投げつけられ、広告を打ちまくった月刊メガストア様からは「美少女ゲーム発売遅延大賞」が贈られ、当然のように広告や情報掲載はそれはもう少なかった。

   メガストア1994/01

 これまでの売り上げから比べても、店舗売上げベストテン入りと発売本数こそは記録したものの、あやよ時代を継承した相変わらずの真っ白なパッケージは小売店的にも日焼けがしやすく棚置きされ、ついでに美少女ゲームと呼ぶにはあまりにもエロ要素が皆無で、売り場担当にまで一般作と間違えられかねない。
 払った対価が戻って来る事もなく、「ようこそシネマハウスへ」は「ドラゴンナイト4」の影に隠れるように在庫の山が広がった。

PC-9801 3.5インチソフトハードスペシャルセレクション 塊

 そうして、赤字補填のためにと作られた塊は、更なる負債の連鎖を産み。その後は「ようこそシネマハウスへ」をDOS/V版(当初はIBM版)として発売するも、Windows95発売予告の波に見事なまでに惨敗。後年、DOS/V版はヤフオクで7万円にまで跳ねあがった。

  

 もちろん、はっちゃけあやよさん5が売れなかったのは言うまでもなく、ユーザーからのシネマハウスに対する評価は高かったものの、バグや不具合の対応を指摘される形での批判も多く、シネマハウスは95年で一端幕を閉じた。


豆知識2 DOS/V戦争の終結とWindows95の登場
 90年代初頭、それまで日本のパソコン業界を支配していたNECのPC98シリーズに対抗するべく、DOS/V機。いわゆるPC/AT互換機が米国から登場した。
 IBMが発売したPS/55シリーズは、国産機に比べて3割以上も安価で、日本語化への手順の困難さは有ったがOSの「IBM DOS」はDOS/Vの名称で親しまれ、Thinkpadシリーズに代表されるノートパソコンの軽快さも有り、初期投資を抑えたい中小企業を中心に広まっていった。

  PC-9801 3.5インチハードPC-9821本体 Ae/U2

 徐々に追い込まれたNECは、上位互換機の「PC-9821シリーズ」を発売。価格帯を半値以下に抑えた廉価版の取り込みや、Windows3.1の対応を視野に入れた機能性の向上を余儀なくされた。
 1995年11月にWindows95が発売されると、国産機とPC/AT互換機の対立は更に加速し、Win95がDOSとの互換性を持っていた事で、PC/AT互換機の弱みだった日本語化は解消され国産機は衰退を辿り、1997年のPC98-NX発売と共に、長きに渡ったPC98シリーズの歴史は終わりを告げた。

 Windows95 CDソフトInternet Explorer3.0 Starter Kit

 これが何故、美少女ゲーム業界に多大な影響を与えたのかと言うと、 これまでのDOS画面といえば色数の乏しい単色画面と記号の羅列でワープロに近く、情報やソフトが取り出したければ、一定の入力をしなければ結果は出てこなかった。
 しかしWindowsになると、カラフルな画面をマウス一つで自由自在に操作が出来る。カラー表示もPC98時代の16色表示から一気に256色と大幅な広がりを見せ、2色程度が限界だった美少女の肌も30色以上のパレットが使えるようになった。

  単行本(実用)<<コンピュータ>> Windows95に隠されたDOSの秘密 / 吉野敏也

 インストールはボタンクリック一つで行う事が出来、ファイルの操作も簡単で初心者でも遊びやすい。
PC98版、DOS/V版と多数のバージョン違いを出していたソフトハウス的にも、格段にコストが抑えられ、プログラマーの技量は問われる形になったが、開発の場も大きく変化する。

 DOS/V戦争により価格帯が安価になり、Windows95の到来で初心者でも気軽にゲームが遊べる。同級生2等のヒットも有り、95年は空前の美少女ソフトブームとなった。


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第8章 HARDの終焉とイーログインの創刊


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