エルフソフトの歴史


  
 定価 6800円

 SHANGRLIA
 PC98版 1991/08/28
当時は珍しかった縦スクロールが話題になった

第五章 東のエルフVS西のアリス

 FoxyとDEJAはどちらも成功をおさめ、続くRAY-GUNもまずまずの売り上げを保つ。
 世間はドラゴンナイト一色で更なる美少女ゲーム雑誌は創刊されていき、時代は美少女ゲームの一大ブームとなった。

 要望に応えるべく続編の制作に向かい、続いては大作
ドラゴンナイト3の登場の登場。そして舞い降りたのが、まさかのドラゴンナイトコンシュマー移植計画。

  

 乗りに乗ったエルフは、竹井氏を看板に新たなもう一つの代表作を作り出そうと開発に励む。

 他社も負けずと、老舗のアリスソフトも、続編のランス2を発売。
 年末の闘神都市もまずまずの売り上げを見せて、一気に業界二番手にのし上がる。

  

 そして迎えた1990年12月、IBMはDOS/Vと呼ばれる国内初の日本語表示オペレーションシステムを発売した事でパソコンゲーム業界は大きく変革を遂げる。

  

 翌年には、マイクロソフト版のMS-DOS 5.0が発売され、日本のパソコン文化は一気に加速した。  今でこそ電源を付ければソフトを選択できる画面になる便利な世の中だが、当時のPCは初心者が操作するには大変難しく、ほとんどのコマンドが英語で表現されており、マウス一つで簡単に動かせるようなシステムに出来てはいなかった。そんな中で発売されたDOSという発明品は、

  「日本語で操作可能、起動すればすぐにソフトが動く」

 という便利さを与え、何よりも初心者パソコンユーザーを増やし続けた。
 そして時代は8色から16色、256色。そして400ラインへと進化していく。
 増えていったパソコン人口に呼応すべく、他社の老舗ソフトハウスも動き出す。

    中古PC98 天使たちの午後Ⅳ

 美少女ゲームの基礎を築いたジャストは天使たちの午後3番外編を発売し、翌年には天使たちの午後IV ゆう子と続いていく。
 古巣のアイデスはX指定という過激ブランドを打ち立て、翌年は当時人気だった遊人原作の校内写生を発表し

   

 某社もあやよさん3 私、逝っちゃったんですで過激に応戦した。(宣伝)

  

 他社の奮闘は続くものの、この時点では完全にエルフが制圧していた。
 企画とシナリオさえ決まってしまえば、後の原画は何とでもなる。
 とにかく蛭田氏はシナリオを描くスピードが驚異的に早く、後年の下級生では半年ほどでヒロイン13人全員のシナリオを書き上げるなど、現代の小説家になろう作家の速度でさえ追いつけないレベルに、しかも小粋の聞いたジョーク満載のむふふスケベなストーリーを書き上げてしまい、ユーザーは魅了されていった。

 窮地に立たされていたのが、プログラマー兼シナリオの金尾氏だ。
 完全に目覚めてしまった蛭田節の独走には付いていけず、金尾氏は段々とシナリオに口を出さなくなる。
 ゲームとしては面白い作品が作られていったものの、スチャラカ三銃士と呼ばれた三人の均衡は壊れ始めた。


・next
 第六章 沙織事件とエルフ設立コンビの解消



Copyright ©ProjectRepadars All Rights R18/JapanOnly