![]() 定価 6800円 | ![]() |
Lipstick Adv
PC88版 1988/10/15 | 美少女ゲーム初期の代表作、中々に練られた推理劇。 音美のエロシーンは・・・ |
![]() エルフがピンチである。 何故ピンチになったのかは、ニュースサイトでも話題の通りだったのは言うまでもない。 が、このままシルキーズプラスの天下に移行してエルフ自体が無くなってしまう可能性は高く、結果的にこうなったのは自業自得といえなくもないが、天下のエルフがむざむざと首位陥落してしまうのは悲しすぎる。 エルフ派だった当方としても不本意だが、何かのきっかけになればとあえてエルフの歴史を執筆する事にしました。 これを見て興味を覚えた方は、多くのゲームがDMMで発売中なので買っていただければ幸いです。 |
![]() ![]() この歴史は、巻末の資料を参考に2014年に制作された、非公式な読み物です。 美少女ゲーム雑誌特有の「ソフトハウス流のジョーク」 を含めて纏めているため、実際の史実や正史とは大幅に異なります。 事実と異なるため、関係者各位への「**読みました**」報告は大変なご迷惑となるのでご遠慮下さい。 某トラック会社様との誤検索を避けるため「エルフソフト」という表記を使用してます。 他サイトへの無断転載や、無断での商業誌掲載は出来ません。 また、ゲーム内容に関する核心的な事項が多数含まれます、配慮の上の閲覧をお願いします。 |
第1章 デザイナーから美少女ゲーム業界へ
1982年、任天堂から発売された「ファミコン」は一大ブームを起こし、若者から青年までみんなゲームの世界に取り込まれる。 同じくして発売されたNECのPC98シリーズは、これまでの米国に特化した機種とは違う高速な日本語表示と軽快な操作性。 16ビットの夜明けは8色カラー表示から始まり、時代はパソコンゲームへと移り変わっていった。 ![]() 若者を支配していた文化はコンピュータの登場により、一台の機械で全て叶ってしまう。 算盤や電子計算機に頼っていたオフィスは新しいパソコンという便利なものを求め、ペンで書いていたイラストはマウスで書けるようになった。 ![]() ゲームが好きだ、ゲームをやりたい、面白いゲームを作りたい。 やがて、日本のメーカーでもウィザードリィのようなRPGが開発されるようになり、ファルコムから発売した「イース」を手にすると、青年はゲーム会社への夢を志すようになる。 バイクが趣味でちょっとつっぱっていたはずの若者は、大人になって手にした新しい文化、ゲームソフトの虜になり全てを奪われた。 ![]() まして就職先にゲーム会社を選ぼうにも親の目や世間の目があった。 そんな彼が、大学卒業後に就職先としてに選んだのは、デザイン会社。 少しでもゲームと近づきたい気持ちを込めて、グラフィックの世界に触れたいと選んだ道だったが、そんな鬱蒼とした気持ちを晴らすような出会いを青年はしてしまう。 ![]() 全く別の仕事で知り合った二人はゲーム作りの話で意気投合し、そのまま金尾氏が勤務している会社「アイデス(後のF&C)」へと招かれるように転職していった。 ![]() その人物こそが、エルフ初代社長の蛭田昌人氏、25歳。 何作かの手伝いをしたのちに任されたのが、当時話題になった「ポートピア連続殺人事件」をモチーフにして書かれた「殺しのドレス」のシナリオ執筆、しかも初の全編描き下ろし作品。 エロシーンこそ簡素(ほぼ皆無)だが、本格的な推理物と話題になりそこそこのヒット、後に3まで続編が作られる事になった。 ![]() ![]() その先の未来が明るい物かと言えば、会社は「ボディコンの女の子と一緒に働きませんか」等と求人広告を打ちまくり、スタッフは失踪しまくり、給料は雀の涙で鳴かず飛ばずの結果を見せた。 ![]() (同タイトルでファミコン版も中身はパズルゲーム) 当時と言えばゲームはさっぱり売れないし、給料は安いし、評価はされないしというセツナサノカケラ状態であった。 ![]() 手にしたゲームの企画タイトルは「ドキドキ☆シャッターチャンス!」 リップスティック2の制作現場で、こっそりえっちなゲームを作り始め、自社設立を企てるという男たち三人組の脱獄計画が、アイデスの開発現場で打ち立てられた。 そんな彼らが古巣に手痛いしっぺ返しを食らうのは、わずか4年後の話だ。 |
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