-JASTの歴史-

・ご注意
この歴史は、ゲーム雑誌特有の「ソフトハウス流のジョーク」

(例.本作は神の啓示を受けて作った等)

を含めて纏めているため、実際の史実とは大幅に異なります。
ゲーム内容の核心的な事項が含まれます、ドアにカギをかけて部屋を暗くしてからお読みください。

また、本文を他サイトや商業誌で無断掲載するのはご遠慮ください。



第1章「天使たちの午後とスキャナーの普及」


 1979年。早稲田大学で理工学を学んだ青年がアメリカから帰国した。
 PC8001の登場と共に、訪れたマイコン世代を歩み続けた日本の大地に舞い戻った青年は、その魅力に囚われ、いくつもの技術開発を始めて行くとそれが商売へと繋がっていく。
 ふと、手に取った美少女ゲームのイラストの拙さに疑問を覚えた彼は、ラップスキャンや打ち込みでそれらが仕上げられていることを知ると、パソコンの画面に正確な線を表現する事に興味を持った。

   その男の名は、佐藤社長。

 ゲーム業界全体の流れを変えた、有限会社ジャストの創設者である。
 佐藤氏が注目したのは、当時はまだ工業用にしか流通が無かったスキャナーの存在。
 富士通や日立でさえまだ、OCR(光学式文字読取装置)を開発している段階の時代に、佐藤氏はゲーム画像取り込み装置として光学イメージをデータ上でパソコンに認識させて転送する構想を打ち立てた。
 一枚の紙に描かれた線をデジタル信号に置き換え、パソコンのモニター上で表示する。
 まるで魔法のような機械の開発は進んでいき、この装置の宣伝を目的として一本のゲームソフトを発売する。

   中古PC-8801ソフト 天使たちの午後

 迎えた1985年、天使たちの午後と名付けられた美少女ゲームがジャストから発売された。
 世界初とも言える繊細な線で描かれた美少女達は若者の心を掴み、同時にスキャナー技術に革命をもたらしイメージスキャナビジネスは広まった。
 この影響で同年、 ユーザック電子工業名義で活動をしていた株式会社PFUは富士通との連携でイメージスキャナービジネスを拡大し、世界中に日本製のスキャナーは動き始めた。


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