はっちゃけあやよさんの歴史

はっちゃけあやよさん3
 発売 1991年
 機種 PC98/X68
 定価 4800 円
幽遊白書をモチーフに作られた霊界探索モノ。
あまりにも売れ過ぎたため、新年エロゲ福袋の定番だった。

第6章 沙織事件の到来と新社長就任

 あやよ3の驚異的なヒットに、PC88環境からへの移行も落ち着き、通販特典も行うなどの商業ソフトハウスっぽい会社になってきたHARD

 だが、発売から僅か二か月後に、業界全体が落ち込みを見せた事件が舞い起こる。

PC-9801 3.5インチソフト沙織 美少女たちの館

 高校生による万引きで発生した通称「沙織事件」と称される案件により、18禁というレーティングも曖昧だった「美少女ゲーム」に検察のお達しが下される。

 当該ソフトの販売停止に各社の自主回収、経営者の逮捕と次々と負の連鎖は続いていき、HARD社も同様に販売していたソフトの回収を余儀なくされることとなった。

テクノポリス 1992年2月号

 自社独立に海外展開と、大きな決断を行ったばかりの変化に柿上社長はHARD社をたたむ決意をし、テクノポリス誌上にて「1992年で当面の開発は停止」を告知。事実上の解散宣言を出す。

 

(こうした事情のため、あやよ3はソフ倫版と前期版の二種類が存在する)

 これに反発したのが、まだ若いスタッフ達。
 会社の存続を願った社員に「じゃあ、じゃんけんで社長を決めて」とか何とかで



HARD社の二代目社長を決めようinじゃんけん大会

 が開催され、それに負けた長岡氏は二代目HARD社長に就任。
 この間まで学生だった上に、年齢もまだ19歳。



 斜め上の人事に、後年に柿上社長は「HARD最大の失敗だった」と語ったそうだが、社長のポストに尊辺さんとかせめて、さっぽろさん辺りに頼んだのなら話は違ったと思うのだが、じゃんけんで決めるという事も、まあその、HARDらしかった。

パソコンパラダイス Vol.4 1992年2月号

 無事にソフ倫も設立され、一年遅れであやよ3のX68版も発売。

 第二期HARDはスタートとなり、若手の長岡社長による「真っ白背景&モノクロパッケージ」という斬新すぎるどう考えても売れそうにない期待の新作「あやよ4」は発売となった。

PC-9801 3.5インチソフトはっちゃけあやよさん IV

 音楽は30曲、アニメしまくりで怪人もバンバン登場! 採算度外視のぶっ飛んだストーリーと展開が広がっていき、既にあやよさんは「3作目で完結した」と思われていた世間の波も知らずに、それはもう前作の売り上げがどこに消えたレベルの落ち込みを見せた。



 制作目標に「富士の樹海であやよランドの建設」が掲げられ、面接はゲーセンで行われる。
 ついに、開発スタッフの名刺は「芸術家」と役職が一気に置き換わり、硬派な会社が何だか分からない企業にジョグレス進化した。

メガストア1993/07

 (ゲーム雑誌では、編集より「自称芸術家」の文字が追記された)

 採算度外視路線は、さっぽろ氏の制作する「ようこそシネマハウスへ」でも行われ、月刊メガストアの表3表紙に一年間に渡り、何故か真っ黒な広告を掲載。



 およそ700万円程かけた支出は発売遅延で意味をなさなく成り、HARD社は自社独立後の翌年、創業以来の赤字を記録した。
 

現代に語り継がれる名作ソフト

 HARDが儲かりすぎて自社独立を決意した一方で、置いてけぼりにされたログ社がどうだったのかというと、

 1992年12月、前年より発売していた「最強将棋ソフト極」が「第3回世界コンピュータ将棋大会」で優勝を果たした事で一気に注目を浴び、すぐにWindows版が開発されコンシュマー業界にも進出。

FMTソフト最強将棋ソフト極

 PlayStationにも移植され、「世界コンピュータ将棋大会」では三年連続の優勝を記録。アマチュア三段の有段者をも打ち破り、あっという間にあやよ3の記録を超えて年商一億円企業へと急成長。

Windows95 CDソフト金沢将棋’98

 その後は株式会社キワメとして1996年に自社独立し、名前を「金沢将棋」と改め、任天堂Switchにも進出。

 現在も続く将棋ソフトへと、活動の場を大きく広げていった。
 
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閑話休題「HARD作品に影響されたゲーム」


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